そういえば、マーガスから変なメールが来た。ミューラーはそういってシュナイダーを寝室に置いてある、あまり使っていないであろう、うっすら埃をかぶったノートパソコンの前に連れてくる。
変なメール? いたずらじゃないのか? シュナイダーはそう言うが、まぁ見ろ、と彼は慣れない手つきでパソコンをいじり、問題のメール画面を開いて見せる。ノートパソコン画面の向こう、差出人は確かにマーガス。本文には、すごく怖いからやってみて、とだけ書かれており、その下にはURLが貼り付けてある。
「やっぱりいたずらか何かじゃないのか?」
下手にURLを開いて、変なウイルスにでも感染してしまえば。きっとこのパソコンは命を落とす。
もちろん物理的な意味で。
「おれもそう思って本人に確認したんだ。そしたら、とにかくやってみての一点張りで…。別に怪しいサイトではないらしい」
マーガスが怖い怖いと言うから、なかなか一人じゃ開けなかったんだ。眉尻を下げ、彼は笑う。
ああ、なんと可愛らしいことか。今すぐにでも、そんなパソコン放り投げ、後ろにあるベッドに二人で沈みたい。そんな欲にかられるシュナイダーであるが、ここはグッとこらえる。変に焦ってしまえば、きっと良くない方向に行くだろう。それに彼の意識は今、目の前の画面にしかない。
URLをクリックすれば、ブラウザが起動、開いたものはFlashゲーム。白黒の画面には古びた廃墟が雑木林の中に建っていた。家の玄関には板が打ち付けられており、窓ガラスはすでに割れている。そんな廃墟。ゲームと言えど、それはやけに生々しく実写であろうか…と思うほど巧妙に作られている。
一つ言えることは、これは明らかにホラーゲームである。
「…………ん?」
ミューラーはそれが何であろうかわからないのか、画面のまで首をかしげている。
どうした? と声をかけるが、いや何でもないと言った。
「これ、どうするんだ?」
イスに座っている彼が、振り向き、背後で立っていたシュナイダーを見上げてくる。普段見上げる側であるが、今は逆。
彼が己を見上げるときなど、情事以外には思い出せない。己の股間に頭を埋め、時々こちらを確認するように見上げてくる…。その光景が一瞬脳裏に浮かんだ。それを振り払ってもう一度ミューラーを見る。こういった生活の中ではまずない光景に、ついつい口元が緩む。
それが不思議だったのか、ミューラーが名前を呼ぶ。
「あ、ああ…。これはだな…」
我に返ったシュナイダーはミューラーからマウスを譲ってもらうと、画面中央にある、板の打ち付けられているドアを右クリック。それに合わせて、パソコンからはコンコンとノックの音が聞こえてきた。
しばらくの間、コンコンと叩いていると画面はフェードアウト、新しい場面に変わる。説明にはリビングルームと書かれていた。
「こうやって進んでいくんだ。怪しいところをクリックして…」
丁寧に説明していれば、ふんふんと相槌を打ちながら彼は黙って聞いていた。
「よし、わかった」
彼はマウスを受け取ると、嬉々としてパソコン画面に向かう。
面白くはないと思う反面、彼の反応が楽しみで仕方がない。こういったホラーゲームには必ずと言っていいほどびっくり要素…脅かし要素がたくさんあるもので。あまり驚いたりすることのないミューラーが果たしてどんな反応をするのか、楽しみなのだ。
シュナイダーの視線を感じながら、ミューラーは黙々とクリックを繰り返す。時々、パソコンから大きな音や破裂音、それに伴って画面が切り替わったり、怪しい人影が突如現れたり…と、視覚と聴覚で驚かしにかかる。
白黒の、現実ではありえない画面の動きにこれならマーガスが怖がるのも無理はない、とシュナイダーは納得する。だが、ミューラーは静かだった。それどころか、やはり首を捻っている。
シュナイダーといえば、特にこれといって驚く様子もなく、むしろ、パソコン画面よりもミューラーのその仕草の方が気になって仕方がない。
彼は最後までやり終えた。
もちろん彼は終始驚くような仕草はなかった。
「どうだった?」
シュナイダーがそう聞くと、彼は、んーっと唸り、どうもこうも…と言葉を続ける。
「……よく見るやつだ」
「………………は?」
彼のセリフが理解できないシュナイダー。いや、理解できないというよりは、何を言ったのかわからない。
よく見るやつだ?
どういう意味だ?
よくあるFlashゲームだということか?
それとも有りがちなストーリーと脅かし方だという意味なのか?
シュナイダーの頭に疑問符がグルグル回る。そんな彼を気にすることなくミューラーは話始める。
「まぁ、あそこまで黒くはないが、よく見るぞ? このアパート前の通りにまっすぐ行った交差点の角の家とか」
ミューラーの説明にシュナイダーは脳内マップを開く。言われた通りにマップを進んでいけば、確かにそこには古い建物が建っていた気がする。誰も住んでいないであろう、蔦の絡まった家。交差点と言えど、小さなもので、そんなに交通量も多くはない。それゆえ、その家はなんだかその場に馴染んでいた。
「よくいる」
「……………よく、いる」
「これの撮影だったのかな…?」
いや、そんなはずはない。あの画面は確かに写真のように見えるが、明らかに作られたもの。もし仮に本物だったとしてもたかがFlashゲームのためにわざわざあんな古い一軒家を借りて撮影するなど考えにくい。
「ああ、それに……」
ミューラーは言葉を続ける。これ以上聞いてはいけない気がするのだが、彼を止めることはできない。
「ミュンヘンの駅からお前の家に行くまでのところで、ぼろっちい家が一件建ってるだろ? あの家の二階の窓にも似たようなやつがいたな。なんか叫んでたけど、よく聞こえなかったんだ。あれも撮影だったのか…」
「………………」
「あーでも、最近もいたから、まだやってるんだな。これはまた新しいのが出るのか?」
「………さぁ…」
新作映画を待ちわびるようなそんな眼をした彼に、シュナイダーはそれしか答えることができなかった。
「まぁ、マーガスには、そんなに怖くなかったって言っておく」
「…それはいいけど、今話たことは言わない方が良い」
すると彼は、本当に不思議そうな顔でシュナイダーを見つめてくる。
可愛らしいとか、抱きしめたいとか思ってしまうそんな表情であるが、いま、彼にそんな余裕がない。今は冷静に、彼の、言葉を受け入れることだけに意識を集中させているのだ。
「なんで?」
「怖がるから……」
「はぁ?」
首をかしげる彼であったが、シュナイダーが言うならば、となんとなく納得したようで、彼は携帯電話を取りに行った。
それを見送ったシュナイダーは、白黒の廃墟画面をしばらく眺め、そっとブラウザを閉じた。
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