始まりは不可解なメールから
文明の発達に伴い、飛躍的に進化していったもの、それは情報ツールだと思われる。そして、いろいろなツールがある中でもっとも進化したものそれは携帯電話ではないだろうか。いまや持っていない者の方が珍しいといわれるであろう携帯電話。過去をさかのぼれば、それがなくとも難なく生活できたであろうものが、今はそれすら難しい。そういった意味では、携帯電話というものは社会的、また各個人においても多大な影響を及ぼしたといっても過言ではない。ただ、それが良くも悪くもあるわけで…。
「どうしたんだ、シュナイダー」
ロッカールームで携帯電話を開いたまま固まっているシュナイダーにレヴィンは静かに、そっと声をかける。あまり大事にしてはならぬその雰囲気に、なにか、彼にとって重大なことが起きたのではないか…そんな想像すらさせるほど、彼は険しい顔をしていた。あまりにも真剣かつ、眉間にしわを寄せ、微動だにしない彼を見つけたのはレヴィン一人だけ。練習の時にはなんら変わりのなかった彼が、いきなりそのような表情をするものだから、レヴィンとしては心配だったのだろう。もしくは、元々表情を表に出さない彼がここまで露骨に、その表情筋を動かしているその内容、原因に興味があったのかも…しれない。
「あ……いや、なんでもない」
レヴィンから隠すように携帯電話をしまうと、心配そうにしているレヴィンに向きなおった。そこにいたのはいつもの、ポーカーフェイスのシュナイダー。見間違えたか? と思うほど、何もなかったかのような顔をしている。
「……その割にはここの皺がすごかったよ」
レヴィンはトントンと己の眉間を指さす。だが、シュナイダーにしてみれば、己がどのような顔をしていたかなど、鏡を見ていたわけでもないでのわかりはしない。あー…っと彼らしくない声を上げ、それでも頑なに、何でもないと繰り返す。その態度にやはり何かあったのだ、と勘の良いレヴィンは察するのだが、これ以上追求したところで彼が口を開くとは限らない。むしろ、その逆、もっともっと口を閉ざしてしまうに違いない。レヴィンはモヤモヤしたものを残しつつも、そうか…それならば……追求はしない…と、言いかけたが、後ろからの衝撃のせいでその言葉を途中で飲み込んでしまった。
「レヴィン、察してやれよ。こいつにだってかわいい女の子と、いろいろあるんだって」
人にはいえない事情ってやつ。ニコニコと笑い、レヴィンの肩口から顔を見せたのは肖。もうすでに着替えたようで、彼からは先ほどまで発していた汗のにおいなどまったく感じさせない。それどころか、疲れの一つも彼自身からみえはしなかった。
「肖、痛いよ」
そんな彼に怒る気すら怒らないレヴィン。ため息をついて肩を落とす。
「あー悪い悪い。勢いつけすぎた」
「ぜんぜん悪いと思ってないだろ」
「まぁいいじゃないか」
豪快に笑うと、肖はレヴィンの背中をたたく。これもまた力を入れすぎたのか、レヴィンが前によろめいた。肖…、彼の不機嫌そうな低い声が嫌でもシュナイダーの耳に入る。肖もこれはまずいと思ったのか、両手をあわせて謝り始めた。
これはいつもの流れ、いつものやりとり。特別変わったことはない。昔の敵は今日の友、とはよく言ったものだ。シュナイダーは目の前で繰り広げられる、実にコントのようなやりとりをじっと眺めていた。そんな二人を眺めていれば、先ほど届いた不思議なメールのことも忘れそうになる。しかし、そうはさせない、といわんばかりの人物が一人、破壊神と呼ばれた男の猛攻をさらりとかわしてシュナイダーに詰め寄る。
「で、シュナイダー。かわいい彼女がなんだって? 試合でも見に来るのか?」
話を蒸し返してくるのはもちろん肖。先ほど「察してやれよ」と言っていた口が、今はさぁ吐けと言わんばかりの台詞を紡ぐ。彼の後ろではまだ文句言いたりないのか、眉をひそめているレヴィンが見えた。
さて、どうしたものか。なんと答えればいいか考えあぐねていると、
「彼女……もしそうなら…大切にしろよ」
と、レヴィンの重い一言。さっきまで見せていた彼の表情は一変し、陰を見せ、どこか儚い雰囲気を醸し出している。
もう、なにも言うまい…そう決意したシュナイダーは短くあぁ…と答え、さっさと着替えると、二人を置いてロッカールームを後にした。
それからしばらくの間、シュナイダーの首を傾げさせるようなメールが、そう多くはないものの送られてくるようになり、それを不思議そうに眺めるレヴィンと肖がいた。
「Schönen Feierabend!」
皆口々にその言葉を残しながらロッカールームを後にする。練習…と言っても、ほぼ試合に近い形式で行われるそれは、たかが二、三時間といえど、シュナイダーに心地よい疲労感を与えるには十分だった。
誰もいなくなったロッカールームに備え付けてあるイスに座り、息を整える。イスから伝わる冷たさが、その疲労感を和らげる。眼を閉じ、ゆっくりと息をすると、今日の練習風景が瞼の裏に浮かび上がる。上手くなった、下手になった…などとたった一日でわかるものではない。ましてや、その日のモチベーション、コンディションに大きく左右されるであろう。ただ、今日のこの練習が、己にとって有意義であったかどうか、だ。
荒かった息が徐々に落ち着いてくる。すると、自然と口元に笑みが浮かぶ。それは今日一日が有意義であった証拠。いや、今までにそうでなかった日などなかったように思う。それは幼い頃から同じ。ハンブルグにいたときもそうだ。
懐かしい記憶…そんな思い出に浸っていれば、突然、目の前のロッカー内からブーッブーッと、あの独特な音がする。明らかに自分のロッカーに置いてある鞄からだ。その音はほんの数秒でやんでしまった。
「………」
シュナイダーは立ち上がると、おもむろにその音の原因を取り出す。
開いてみれば、メールが一通。先ほどの音はこれだったのだろう。わざわざメールを開かなくても、だいたい誰からのメールか想像がつく自分に苦笑する。一応内容を確認してみるが、そこにはアルファベット一つなく、ただ一枚の画像が添付されているだけだった。
薄暗くなっていく空の下、ライトに照らされているフィールド、そして遠くに見えるはゴールに、よくよく見ればその横に申し訳なさそうに転がっているボールが一つ。フィールドの中から撮られたであろう、それ。誰もいない練習場がこんなに静かなものなのか…そんな感想を持たせる一枚。それは撮った本人自身、こういった風景を好むのか、それともたまたま、こういったものが撮れたのか…それは分からない。
とにかく、その一枚からわかること、それは向こうも練習が終わったということだ。シュナイダーは開いていた画面を閉じると、慣れた手つきで携帯電話をいじる。そして、それを耳に当てた。
ロッカールームにいるのは自分だけで、ほかのチームメイトは皆帰った。レヴィンや肖も例外でなく。二人には食事にでも、と誘われていたのだが、なんだか胸騒ぎがして丁重にお断りしたところ。その胸騒ぎがコレであったかどうか、定かではない。しかし、共に食事に行っていたら、きっと彼からのメールに気づくことはなかっただろう。
携帯電話の向こうで三回呼び出し音がなるが、その音は突然プツリと切れてしまった。これもいつものこと、慣れたものだ。シュナイダーはため息を吐き、しばらく携帯電話を眺める。だが、それはなんら反応を示さない。待ち受け画面が煌々と光るばかりで、その画面が変わることはない。たぶん彼のこと、どうやってかけなおせばいいのかわからないのだろう。何度か教えてはいるが、やはりこういったことは苦手のようだ。それと同時に、彼の周りにかけなおし方を教えてくれる者がいない、ということ。今頃彼は携帯電話を持って眉間にしわを寄せているのかもしれない。なんとわかりやすいやつであろう。
反応のない携帯電話を再度操作し、もう一度彼に電話する。次こそは出てくれよ、と願いを込めて。先ほどより長めの呼び出し音の後、その音が止む。今度は無事に出ることができたようで、彼の落ち着いた息遣いが聞こえてきた。
こんな感じのお話…になります。。。。
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